定森議員お疲れ様です!市議会議員とはどのようなお仕事でしょうか?
まだ初当選から3年しか経っておりませんので「このような」と短くご説明することが難しいのですが、呉市に存在する種々の問題に対して、多面的に情報収集をし、専門知識を持った優秀な職員さんのお力を借りながら、進むべき方向性を判断するのが仕事であると心得ております。財政、産業、市民生活などですね。日々勉強です。
一言でまとめていただくのは難しかったですね(笑)
定森さんは高校卒業後はまず防衛大学校に進学して自衛官として勤務されていましたが、どういった思いがあって政治家を志すに至ったのですか?
そもそもは小学生の頃に発生した地下鉄サリン事件などをきっかけとして、将来は化学の知識を使って何か人の役に立つことをしたいという思いがありました。そのため防衛大学校に入校してからも化学系を目指していました。結果的には化学とは違った方面に進むことにはなりましたが、10年以上を自衛官として務めました。
ただ、心のどこかに「いつかは地元で」という思いがあり、その思いを具現化する道として政治家への転身を考えていました。若い世代のことを本気で考え、実行する力は、自分たちのような若い人間にこそあるんじゃないかと。何ができるかは分からないけど、何でもやってやるという気持ちでした。自衛隊で様々な場数を踏んできましたので、自分ならできるという自信のようなものはありました。自衛官も政治家もどちらも「誰かのために働く」ということが共通なので、自分の中では地続きになっています。
最終的には平成30年7月の豪雨災害が起こったのを機に呉に戻ってきて、復興のボランティアを経て市議会議員に立候補し、当選させていただいたという流れです。
定森さんの中では同じ方向性なのですね。
話は変わりますが、印象に残っているコムタスでの思い出などありますか?
自分たちはコムタスの1期生だったんですよね。大手の塾に通っていたのですがなかなか成績が振るわず、いい先生に習いたい一心でコムタスに移りました。
コムタスでは数学などの勉強のことはもちろんですが、それ以外に進路に関する相談に乗っていただいたのが思い出深いですね。雑談などの声かけをしていただく中で、自然と国際情勢や国内の状況なども何気なく教えていただくことができ、結果的に自衛官になるきっかけをいただいたと思っています。そういうことも含めて、黒田先生は恩人です。
それから、例えば数学の授業では「考える」という経験がたくさんできたと思います。公式を覚えてあとは数をこなせ!みたいな指導ではなくて、一つ一つの問題に対してじっくり考える時間を作ってくださっていたと思います。
受験勉強とその後の勉強について、似た点や違う点を感じておられますか?
大学進学以降に勉強のレベルが一段階上がるのは当然のことですが、高校までの勉強が大学の勉強のベースになっていることも同時に感じました。数学の「条件付き確率」などはそのまま実社会でも使えますね、コロナの検査をどうすべきかを考えるときなどですが・・・。歴史や国語なども含め、全て無駄にならないなということを痛感しています。
また、政治家という立場はいわゆる「文系」的な立ち位置になるとは思うのですが、高校や大学時代に培った科学的な思考能力が役立っているとも感じます。数学や理科の勉強が「こうなったら、こうなるだろうから、こうする」という思考の訓練になったのだと思います。
違いがあるとすると、特に社会に出てからの勉強というのは範囲が広くて難しい問題が多いですが、暗記をしなくてもいいという点でしょうか。また、社会に出ると同じような問題を何度も解くわけではないので、反復練習というのは受験勉強に特有のような気はします。
現役コムタス生にアドバイスなどお願いします。
高校や大学で学んだことは、社会に出てから物事を考えるときの基準になります。だから色んなことに挑戦し、色んなことを勉強してほしいですね。中高生って15歳とか18歳ですよね。38歳の自分から見ると本当に若くて可能性のかたまりです。何をするにしても全然遅すぎることはありません。だから「できることは全部やる」の精神で挑戦してほしいです。
ただし「挑戦」と「無謀な賭け」は違うと思っています。可能性がゼロのものに突っ込むのは無謀な賭け。1%でも可能性があるのならチャレンジして、最後に50%の可能性にまで高めるのが挑戦だと思います。決断するときは1%の可能性でいい。それを50%に高めていくようにチャレンジしてほしいなと思います。