「ママフク」誕生まで - 暗黒期
今でこそ100人の卒業生に「ママフクはいいぞ」と勧めていただいている勉強法「ママフクⓇ」ですが、最初からそうだったわけではありません。
どんなものにもスタートがあるので、ママフクⓇも「0人」「1人」だったときがあります。そのあたりをひもといていきましょう。
コムタス発足当時からの悩み「もっと成績を上げたい!」
コムタスは呉で2002年に発足した当初から、大学受験のためのライブ授業を実施していました。当時としては画期的だった大きな自習室、学習効率を上げるICT機器の活用など、先進的な工夫で少しずつ呉の皆様に認知していただいていたのですが…。指導するスタッフにはある大きな悩みがありました。
「もっと成績を上げたい!」
そう、効率的な学習や広い自習室など、勉強の環境は呉で一番かもしれない。でも、勉強する生徒の姿を見ていると「こんなに勉強しているんなら、もっと成績が上がってもいいはずだ」と思えてしまったのです。
ここからママフク誕生へとつながっていく道のりを、ママフクの提唱者である横川(通称:ハカセ)の目線でたどっていきたいと思います。
横川ハカセ自己紹介
ここからの語り部である横川の自己紹介を軽くさせていただきます。
地元呉市出身。少年時代の愛読書は「ブラックホールの謎」と「ドラえもん」でした。ご覧のように「ブラックホールの謎」は読み過ぎたために手汗が染みこみ、2つに裂けてしまったほど。宇宙のことに興味をもちました。

宇宙の研究をする「天文学者」という存在に憧れたものの、高校に入ってから数学の成績が急降下。さらには物理もチンプンカンプンとなり、これはさすがに無理かなと思いました。
しかし数学を何とかするため塾に通い始め、同時に復習を重視した学習をすると、高2の1年間で偏差値が50台から一時80台にまで向上。それもあって京都大学理学部に進学できました。ちなみにこのときの経験が「ママフク」にも活かされています。
大学・大学院では念願の「宇宙の研究」を経験し、物理学の博士号を取得。普通はそのあと何かの研究所などに進んで研究者を目指すのですが、自分の能力や適性に疑問を感じたため、研究者への道は断念しました。「物理を学んだ自分にできて、喜んでもらえること」を考えた結果、高校生に物理を教えるという仕事、、、つまり、今に至る「塾の先生」という仕事に行き着きました。今では物理だけでなく、化学や生物も担当しています。
以下ではわたくし横川の目線から見た「ママフク」誕生までの歴史をお話ししたいと思います。
授業は分かりやすいって言われるのに…
2002年からコムタスで物理を教え始めました。こう見えても私は物理学の博士号を取得した身。本場仕込みの私の解説を聞けば、たちどころに生徒は物理の本質を理解でき、成績も上がるだろう。そんな風に思っていた時期がありました(遠い目)。
物理は「意味不明な公式を暗記」になりやすい科目ですが、私の授業では「正しい思考回路」を伝えることで応用範囲を広げます。
その方針がうまくはまったのか、比較的早い段階で生徒たちからは
「授業めっちゃわかりやすい!」
「ハカセの教え方うまい!」
「感動した!」
などの声をいただくようになりました。
このように授業の手応えはあったのですが、なぜか成績は思ったほど伸びないのです。色々な試みをし、生徒を観察する中で、思い当たったことがありました。
「もしかしてこの子たちは勉強したことを忘れているんじゃないか?」
文字にすると当たり前すぎて笑われそうですね。でも実際、これは当たっていると思います。そこで私の脳裏に浮かんだのは
「正しい思考回路を反復できれば、問題は解決するのでは?」
という問題意識でした。
復習ノートづくりの指導を開始!その反響は
正しい思考回路を反復するには「いつでも見返せるメディア」に思考回路を記録する必要があると思いました。要するに「ノートにまとめる」ということです。この「復習ノートづくり」を生徒に勧めはじめました。
実は私(横川)自身、高校生のときに数学の偏差値が50台から80台に向上した背景には、同様に「復習ノート」の存在がありました。私一人とはいえ50台から80台ですから実績は十分ですね。それをそのまま生徒にやってもらおうとしたのです。
そして生徒の反応は・・・
「無」
そう、「無」なのです。全くの無反応。
おかしいな。誰も成績を上げたくないのかな?と不思議でしたが、とりあえず言い続ける日々でした。
ハカセ自ら復習を実践して気象予報士に合格
生徒が誰も復習しないままに4年が過ぎ、2006年になりました。無反応のまま4年間もよく言い続けたなと我ながら呆れてしまうのですが、それにしてもこのままでは良くありません。
そこで、自らを実験台にすることを思いつきました。気象予報士試験にチャレンジしたのです。気象予報士は合格率5%ぐらいの難関資格ですから、実験台としてこれ以上のものはなかなかないでしょう。
参考: 気象業務支援センター「試験結果」の統計情報より
気象予報士試験には1次と2次があるので、1回目で1次をクリアし、2回目で2次をクリアするのはわりと一般的な戦略です。私もそうすることにしました。出勤前のわずかな時間に「復習ノート」を活用して効率的に学習を進め、2回目の受験で気象予報士試験に無事合格しました。
アッサリしてるな~と思われそうですが、これが復習の成果です。
このように実際に復習の効果があることを改めて実感したのですが、なかなか生徒に広まらない、そんなもどかしい日々でした。自習室でがんばって勉強する塾生の姿を見ながら「この子たち、こんなに勉強しているけど、きっと復習はできてないんだろうな」と思っていました。
ろくなことが起こっていない4年間ですね。一体いつ「ママフク」が誕生するんでしょう?次回をお楽しみに。
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